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原爆の絵

識別コード WH14-123
絵の内容 東遊廓
作者名(カナ) 上西 薫(カミニシ カオル)
作者名(英語) Kaoru Kaminishi
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和14、15年頃
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵中
憲兵
**裏
昭和十四、五年頃の東遊廓、今の銀屋町のつもりである。高等学校へ進入っていたのでここも又優等生■■研究した。日支戦争泥沼、広島は軍人の基地だ昼のうちから兵隊達は遊廓へ行く。時に警備の憲兵に出会う。「けいれい」と云う処■■門限まで兵営まで帰れば良いので憲兵は何も云わない。戦局はたけなはで自粛して遊女の写眞や遊女自体こうし戸のうちへ外から見える処にはおかなかった。ハンブルクの飾り窓の方が余程派手である。入口には「やり手婆あ」と云って、遊女の停年になった奴が居りもっぱら遊ぶ時間、金額、遊女の選択の交渉に当る。この婆さんの分け前は五分たとえば二時間遊女■食事(ひるめしつき)で二円であれば分け前は十銭であった。高校の受業料が年額十二の時だから相当高くついたものだ。兵隊の給料は二等兵一ヶ月一円二十銭、軍馬一匹供出すると百五十円くれた。むちやくちやの時代でした。
53.6.5
〒□□□ □□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□ 医師 上西薫
電話□□□□□□□□□□
サイズ(cm) 25×35.5
展示の説明文 東遊郭
1939~40年(昭和14~15年) 作者/上西 薫
(作者のことばから)
昭和十四、五年ごろの東遊廓、今の銀山町。
広島は軍人の基地だ。昼のうちから兵隊達は遊廓へ行く。時に警備の憲兵に出会う。この絵は「けいれい」と言うところ。門限までに兵営に帰れば良いので憲兵は何も言わない。

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