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原爆の絵

識別コード WH14-121
絵の内容 広島県立広島商業学校
作者名(カナ) 上西 薫(カミニシ カオル)
作者名(英語) Kaoru Kaminishi
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和11年
情景場所 県立広島商業学校
情景場所旧町名 江波町
情景場所現町名 舟入南6丁目
爆心地からの距離 2880
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵中
広商魂
**裏
広島県立広島商業学校が竹屋町のせまい処から舟入へ移ったのは私が小学校五年の時、昭和七、八年のことだ。舟入のグランドに野球のスタンドが出来てそこで夏甲子園戦の予選がある。これは私一中三年の時のつもりだから昭和十一年としよう。県商と一中がやっているとする。野球には勝てっこないのだから小差で負けたのだろう。あの頃結構今の野球ママも居た。比較的派手な姿で多く観戦に来ていた。大きい選手の母親だ。女の子だって多く来ていた。大てい姉か妹だ。ポプラが未だ大分のびていない。あのへんは一面畠であって百姓家が点々とあっただけ。今は市の発展に■小民家が並び発展した。教育ママ、スポーツママ、モダンママあの当時も居たのですよ。世情に変りはありません。この大きな帽子はフランス製のコアフエ■■のつもり。本通りで七、八円も出せば当時買えた。一寸高いがね。
53.6.6
〒□□□
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上西 薫
電話 □□□□□□□
サイズ(cm) 25×35.7
展示の説明文

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