識別コード | WH14-037 |
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絵の内容 | 江波二本松海岸、埋立以前の景色 |
作者名(カナ) | 南野 昭美(ナンノ テルミ) |
作者名(英語) | Terumi Nanno |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | |
情景場所 | 江波二本松の海岸 |
情景場所旧町名 | 江波町 |
情景場所現町名 | 江波二本松 |
爆心地からの距離 | 3,600m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **裏 江波二本松の埋建以前の景色 青松白砂の影を潮の中に落して波は岩に打ちよせては返す様は美つくしき天然をそのままであったと子供心に思いました。でも大二大戦の始まるや江波三菱造船をつくる為に白砂の海は埋没し多くの魚貝類は多量の砂に死ました。皆なが夏ともなれば水泳に貝掘に楽しんだ影色は消ました。私達は、小学校の頃毎年夏になると小遠足のような形で一日を貝掘に先生につれてゆかれて広い広い砂浜を思いきりかけまわりました。思いだしても気の遠くなる様な広い長い砂浜でした。母はよく兄弟で貝掘にゆく私たちにあまり遠く行かず岸の近かくで掘る様に言いました。子供の足ではあまり砂浜の先までゆくと潮が満て来た時岸まで帰れないからです。皿山のふもとをずうと取巻いて砂浜は江波山のふもとも取巻き二本松の方からでも江波山の方からでも海にをりてゆける様だったと記憶します。江波の人達は此の天然の恵に夏は貝、魚取りを冬はかき・海苔と生活のかてを得ていた事は大変なものであったろうと思います。今は立派な町になり多くの人達が住んでいます。五人心中の石碑も当時は波にあらわれて静かなたたずまいでしたが今は道のはしこで見返る人もない。自動車のまきをこす砂ぼこりをあびて立ていますが此の石碑だけが変る昔の姿をぢつとながめていついつまでも立っている事でしょう。自然を変ても人間は生きてゆかねばならない。これが生活の進歩と言うのか。すこしだけ考へます。 **別紙 NHK開局五十周年を迎えられ心からお祝い申し上げます。NHK中国本部に従事の皆々様におかせられましては益々ご健勝にてお過しのことと存じ上げお喜び申し上げます。下りまして私平素各別のご厚情をたまわり有難くお禮を申し上げます。私相変りませず通院を続け居ります。病気モ回復にむかっております。一昨年に引き続き令年わがなつかしの広島の絵を放送や展示にご活用下さいますこと私只々感謝に耐えません。広島の街の思い出ははかり知れないほどございます。その中の思い出江波山周辺を一画書かせて頂きました。病弱の身で思うやうに書けませず本当に申し訳ございません。どうかご活用していただきますれば嬉しゅうございます。八月六日にぜひ広島に行きませねばと存じ居りますが只行けませんので残念でございます。何卒よろしくよろしくお願ひ申し上げます。どうか皆々様ご健勝にてご過ごし下さいますことを尾道の地よりお祈り申し上げます。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□ 南野 昭美 TEL □□□□□□□ |
サイズ(cm) | 37.8×53.8 |
展示の説明文 |