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トップページ原爆の絵平野町の渡し船

原爆の絵

識別コード WH13-040
絵の内容 平野町の渡し船
作者名(カナ) 深田 弘子(フカダ ヒロコ)
作者名(英語) FUKADA Hiroko
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和13年頃
情景場所 平野町の渡し船
情景場所旧町名 平野町
情景場所現町名 平野町
爆心地からの距離 1,700m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵中
私が住んでいた所は竹屋町でした。学校(現在の翠町中学校)に行くのには川下の御幸橋を通って行くと遠廻りになるし、川上の鶴見橋を通っていくのも同じく遠廻りになります。そこで自然にこの渡場の方へ足が向く、家を出るときに渡船代一銭をもらうのに一苦労しました。川岸には家が軒をつらねていました。川の中から家を見ると座敷の中がよく見えていました。渡船のあったところは、現在のバイバス(平野橋)にありました。川を渡ると右側に県師範がありました。左側は電信隊があり兵隊さんが多勢いまして活発な号令が聞えていました。それに赤レンガの建物が行手に見えてきます。被服廠です。田圃の中に赤レンガの建物だけが見え、その南の方に学校が見えます。レンコン畑ばかりで家はありませんでした。この土手に道しるべがあったことを記憶しています。至広島駅、至宇品と書れていた大きな石柱でした。昔の懐しい想いでにと…
昭和十三年頃 竹屋町在住
深田 弘子
(50才)
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深田 弘子
サイズ(cm) 38×26.3
展示の説明文

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