識別コード | WH13-037 |
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絵の内容 | 南大橋周辺の思い出 |
作者名(カナ) | 栄 トシ子(サカエ トシコ) |
作者名(英語) | Toshiko Sakae |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | |
情景場所 | 南大橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,750m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵中 栄トシ子 □□□□□□□□□□□□ 絵キ 山中女学校 東 たかの橋市場 南大橋 その頃公害とかヘドロの言葉余り使わない 黒茶色の排水 大きなドカン 中国製紙工場 禎さん 除さん 李さん 私のうち 巣守鑑札工場のちの帝国兵器 吉島羽衣駐在派出署 刑務所至ル 此の当り 一坪五円也 土手道 とし子え 橋の西詰には韓国の人が住んでいらして毎日藁の空俵をさかさにして両手でバタバタ振っていられました。米粒がバラバラ落ちて下に随分たまって居た様です。そのおうちえ私達隣組の奥様と一緒におよばれに行きました。大変なご馳走で丸い小さなお餅などおいしく頂いて楽しくにぎやかでした。あれから朝鮮の御家族の方今生きていられるか、それとも原爆でなくなられたか消息もわかりません。その頃私は、毎日の様に干潮になると川に降てシジミ貝を拾っておかずの足しにしそのおつゆがとてもおいしく昔の事がいつまでも心に残ります。 |
サイズ(cm) | 26×36 |
展示の説明文 | 南大橋周辺の思い出 作者/栄 トシ子 (作者のことばから) 橋の西詰には韓国の人が住んでいらして、毎日俵をさかさにして両手でバタバタ振っておられました。米粒がバラバラ落ちて下に随分たまって居たようです。そのおうちへ私たちは隣組の奥様と一緒におよばれに行きました。大変なごちそうで、丸い小さなお餅などおいしく頂いて、楽しくにぎやかでした。あれから朝鮮の御家族の方は、今生きておられるか、それとも原爆でなくなられたか、消息もわかりません。 |