識別コード | WH13-027 |
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絵の内容 | 御幸橋・糧秣支廠の前で離合する電車 |
作者名(カナ) | 上西 薫(カミニシ カオル) |
作者名(英語) | Kaoru Kaminishi |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | 昭和9年頃 |
情景場所 | 御幸橋・糧秣支廠前 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 2,270m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵中 酒 清医院性病 **裏 (清医院は当時高名淋病医者今は居られないので記入した) 今の御幸橋から宇品の区割整理が完成し市電の複線が通じたのは昭和十三年頃と思う。それまでは複線は電鉄前まで。それ以南は単線で御幸橋からすぐ右折して川沿いに走っていた。それでこれは昭和九年頃のつもりである。途中二ヶ所分キ点あり。行き来の電車がすれちがう。これは宇品の陸軍糧抹支しょう前の停留所である。右は日本最大陸軍の台所をあづかる製造所、乾パン、保存食、カンズメの工場である。御幸橋から宇品まで離合が二ヶ所全線を三分して夫々お互に同時に来る電車が出合うためには全所要時間が十八分であるので六分づつの間かくで発車する 駅から御幸橋行宇品行が交互であったので昭和三年頃の市電は約三分間隔であった。駅-紙屋町、紙屋町-宇品、宇品-己斐の三区間を略同じ所用(要)時間で運転し紙屋町で三方同時に離合する 駅紙屋町間が又十八分 それで全(すべて)のうごく市電の数は四十八台、この地白島二台、横川四台を加へ日中は五十四台が動いていた。分ったか。予備の五十四台をいれ電鉄は市内だけ百台の電車をもっていた。 〒□□□ □□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□ 医師 上西薫 電話□□□□□□□□ |
サイズ(cm) | 25×35.5 |
展示の説明文 |