トップページ原爆の絵広島陸軍被服支廠付近でお手玉をする子どもたち
識別コード | WH12-004 |
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絵の内容 | 広島陸軍被服支廠付近でお手玉をする子どもたち |
作者名(カナ) | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) |
作者名(英語) | HARADA Midori |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | 大正~昭和初期 |
情景場所 | 広島陸軍被服廠付近 |
情景場所旧町名 | 出汐町 |
情景場所現町名 | 出汐二丁目 |
爆心地からの距離 | 2,670m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵中 大正から昭和のはじめ頃お手玉が流行しました。色ろ合わせのよい布切れの袋の中え小豆を入れてお手玉を作りました。歌に合わせて二ツか三ツを上手にあやつります。旅順開城の歌がお手玉と拍子がよく合うのでたいてい此の歌をうたいました。最後の歌まで落さないと一たんかしましたと云って勝つのです。夕ウ暮れになると続きは明日に残して別れました。つめこみの勉強の時代でなかったので塾もなくのんびりしたものでした。雨の日は家の中で天気のよい日は外で毎日毎日お手玉をして遊んだので今でも旅順開城の歌を覚えています。板べいのあるあき地は広島市皆実町の陸軍被服廠あたりです。 1. 旅順開城約なりて敵の将軍ステッセル 乃木将軍と会見の所は何処水師営 2. 庭に一本(ひともと)ナツメの木弾丸跡も著るく崩れ残れる民屋(みんおく)に今ぞ歩みぬ二将軍 3. 乃木大将は厳かにみ恵み深き大君の大命詔(おおみことのり)伝うれば彼畏(かしこ)みて謝しまつる 4. 姿勢(かたち)正して云い出でぬこの方面の戦闘に二子(にし)の我が子失いたまいつる閣下の心如何にぞと 5. 二人の我が子それぞれに死傷を得たるをよろこべり。これぞ武門の面白と大将答え力あり 6. 昨日の敵は今日の友語る言葉もうちとけて彼は称えつかの防備彼は称えつかの武勇 7. 両将昼食共にしてなおもつきせぬ物語り。我に愛する良馬あり。今日の記念に献ずべし 8. 厚意謝するに余りあり。戦の掟てに従いて他日我が手に受領せば永くいたわり養なわん 9. さらばと握手ねんごろに別れて行くや右ぎ左り砲音絶えし砲台に閃めき建てり日の御旗 小さい子供は二ツか三ツ小学校の高学年や女学校になると五ツのお手玉を使いました。母や祖母に布切れをせがんでもらいうけるのが大変なことでした。お手玉の中え小豆を入れると勿体ないと云ってよく叱られたものです。 お手玉遊び □□□□□□□□□□□□□ 原田みどり |
サイズ(cm) | 29×39.7 |
展示の説明文 |