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原爆の絵

識別コード WH11-059
絵の内容 大手町国民学校周辺
作者名(カナ) 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ)
作者名(英語) Miyako Sadatoku
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時
情景場所 大手町国民学校周辺
情景場所旧町名 大手町八丁目
情景場所現町名 大手町四丁目
爆心地からの距離 1,000m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
中国電力K.K.
市役所
駅に至る
国泰寺町1丁目 
広島県農業会 
戦時中此處の曲り角で芋づるの入った雑炊を行列して頂いたものです。でも敗戦の日(S20.8.6)似之島で夕方出た透き通るような雑炊よりも有難かったものです。しかも其の時は皆んな元気な様でした。
宇品に至る 郵便局 夢の地下と云う喫茶店 
夢の地下の主家 大手町九町目 大手町八丁目 
小さい我が学校の囲りには立並んで居た 
ここ等辺にはお堀もあった 坂本裁縫師宅 
山神(組長でした) 
部谷 正本(小活だった) 
小路 正木 稲垣 
皆川 アメリカの帰国者宅 
大手町国民学校 墓所 お寺の入口 
お寺 (此のお婆さんは終戦間際に疎開された(芸備線沿線に) 
昭和二十年七月の或日此のおばあさんに美味しい梅焼酎を頂いた。そして疎開荷物の名札を書いて差し上げた。これが永遠の別れとなった。
お医者さん
伊藤 琴の先生宅 
会館 田賀 
田賀先生は愛国婦人会 国防婦人会の会長さんでした

沢近(一人者でした) 此の人は貯金局に勤務して居られた。
一人者のおばあさんが居られた。
**裏
貞徳ミヤコ
六十四才
サイズ(cm) 59×38
展示の説明文

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