識別コード | WH11-038 |
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絵の内容 | 細工町のお祭りの思い出 |
作者名(カナ) | 角 テル(スミ テル) |
作者名(英語) | Teru Sumi |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | |
情景場所 | 本通り 細工町 |
情景場所旧町名 | 細工町 |
情景場所現町名 | 大手町一丁目 |
爆心地からの距離 | 50m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 元安橋 元安川 貸ボート 沖貸ボート屋 相生橋 土手 本通筋 年一度ノ夏祭ノ風景 郵便本局 西光寺 不働さん 西連寺 多くの石地尊さんも原爆で後かたもなく散ったのでせう 県物産館は此の当りかと思われます。 不働明王祭 猿楽町通り 黒川分院 清病院 屋台店 旧細工町通り アイスクリーム 三宅 綿屋 島外科病院 武ノ内酢問屋 黒川病院 不働緑日 毎年六月二十八日不働さんの祭りです。母乳をさずけて頂くと云うので遠方からお寄りがたくさんです。大変にぎやかで出盛りはおすなおすなの人出。此の日昼食が赤飯に貝汁を子供は御ち走になります。毎年のことながらのあめ屋さんか見てる内に鬼の面を作り一とはけさっとはいてはい出来上り青鬼赤鬼の面が出来上がりそれ買ひ求めて帰りにはなめなめ口のまわりを青赤に染めて歩く姿も見受けられました。又海ほうづきと云って海から取って来た魚の卵の入って居る物に小さな穴を明けてぶうぶう口の中でならする等。其頃は公害と云う言葉も有りませんで■■何とのどかな暮しで御座いました。何分中心地なので原爆で焼け生きてる人は島院長様だけではないでせうか。今もなつかしい子供の頃のお祭りの一つで御座います。 角 テル 七十九才 **裏 角 テル (79才) |
サイズ(cm) | 26×37 |
展示の説明文 |