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トップページ原爆の絵私が生れた町鳥屋町

原爆の絵

識別コード WH11-034
絵の内容 私が生れた町鳥屋町
作者名(カナ) 上田 富貴代(ウエダ フキヨ)
作者名(英語) Fukiyo Ueda
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 大正5年
情景場所 鳥屋町
情景場所旧町名 鳥屋町
情景場所現町名 大手町二丁目
爆心地からの距離 100m
ブロック別 紙屋町・本通地区
作者による説明 **絵中
原爆で亡くなった私が生れた町鳥屋町
平田屋町
東京じまん堂
淀川ずし
泉州旅館
私の生家(立石廻送店)
中迫旅館
元安川
カベ勘
木定食料品店
芸備新聞社裏
大杉油社
大手町
おーにのまめをばらかつしやい よーいちんとなーまぐさい
大正五年五六才の頃節分の夜町内の男女児全部髪の長い女の子は丸まげや桃われを結って貰ひ袋をさげて一軒一軒町内を豆を拾って廻る習慣があった。子供の頃のなつかしいおもひで。
□□□□□ 上田 冨貴代 (65才)
サイズ(cm) 24.3×35.6
展示の説明文

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