識別コード | WH11-006 |
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絵の内容 | 国泰寺の大クス |
作者名(カナ) | 内田 豊(ウチダ ユタカ) |
作者名(英語) | Yutaka Uchida |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | |
情景場所 | 国泰寺 |
情景場所旧町名 | 小町 |
情景場所現町名 | 中町 |
爆心地からの距離 | 600m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **裏 □□□□□□□□ 内田豊 **別紙 広島の丁度中心の位置に出臍(へそ)の様に岩の丘が盛り上り一本の楠が育って、数百手の大木となり広く緑の影を落して遠くから市内を歩く人の唯一の目標になり又憩いの場でした。そこに祠がありその拝殿として神仏混合の国泰寺のいらかがそびえていました。お祭りの盛大さ、竹拍子ののぞき芝居からくり等境内所狭しと屋台店がアセチレンの臭いを漂わせ大変な賑いでした。お城から鷹の橋に向って流れる大堀を埋立て市内一番の大通りとしその上に電車を通したのでしたがその大楠が根を張っているので電車が通る道だけは切り下げ人道は根を痛めない様坂道になっていました。原爆の落される十日程前B29はリハーサルのつもりか同時刻市の中心に落すべく楠を目標に北から南へ四個の伝丹の筒を落して行きました。絵の中心赤い色の保険ビルにも命中その長さ二メートル余の筒は今も記念館に陳列されています。その右の白い建物が日銀支店ですが今はどうなっているでしょうか。本番の原爆投下は風に流されたかこの楠から三、四百メートル西でした。楠に命中はしなかったものの生きもの総て根絶えた当時です。流石の大楠も例外ではなかったようです。広島のシンボルを失った淋しさをしみじみ感じます。 六月十日 □□□□□□□□□ 内田 豊 |
サイズ(cm) | 27.2×24 |
展示の説明文 |