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トップページ原爆の絵被爆後相生橋附近の母子

原爆の絵

識別コード WH09-011
絵の内容 被爆後相生橋附近の母子
作者名(カナ) 鍛治屋 末美(カジヤ スエミ)
作者名(英語) KAJIYA Suemi
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 1945/8/7
情景場所 相生橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵中
本川小学校
草土手

相生橋
**別紙
この絵は八月七日の午後三時頃に見受けたものでありますが母親は原爆にやられ意識不明で頭や背中は全部焼け焦げとなりそれなのに体の前側だけが元通りで大きな乳房をしていました。母親の側に幼い子供が居ましたがその子も不思議に怪我をして居らず元気な体でありました。原爆の時どがーんと大きな音がしたので母親は無我夢中で子供を抱いて土地の上に臥したので親の体前の部分と子供が焼けなかったのだと思います。子供は幼い子でまだ歩けず這うていました。母親を誰が座らせたのか原爆ドームに縋らせてありました。子供はおかあーさんが死ぬる寸前とは露知らず大木に登るような格好でおかあーさんの体に這い上がり乳房を握りしめ乳を吸うていましたがお腹が満腹したのか母の体から降りて相生橋の所まで行きキヨロキヨロしていましたが又後に帰り母に登り乳を吸うていましたが間もなく母は倒れて二度と帰えらぬあの世の人となりました。この母と子は悲惨な姿で永遠に逢うことの出来ない今生の別れとなりました。それが子供にはわからず倒れているおかあさーんに縋りつき乳房を離そうとはしませんでした。この哀れな姿は見たものでないとわかりません。子供は誰かに育てて貰った事と思いますが今生存して居れば三十四才位いで、おかあーさんの顔も知らない乳を飲んだことも覚えていないかと思います。
サイズ(cm) 25.5×35.5
展示の説明文

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