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トップページ原爆の絵太田川放水路は以前は全部畑に人家だった。薪不足の時は熊笹、雑木をもらいに三滝観音への参道を通った。

原爆の絵

識別コード WH08-047
絵の内容 太田川放水路は以前は全部畑に人家だった。薪不足の時は熊笹、雑木をもらいに三滝観音への参道を通った。
作者名(カナ) 相原 キクノ(アイハラ  キクノ)
作者名(英語) Kikuno Aihara
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和19年頃
情景場所 三滝山付近
情景場所旧町名 三滝町
情景場所現町名 三滝本町
爆心地からの距離 2,500m
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵中
想い出
昭和十九年四月、現在の三滝橋のかかる放水路は全部畑に人家(人家の数は判明しない)。三滝参道も右寄り山山の裾に踏みなれた小径を四季の雑草を眺めて登って行ったもの。終戦後の薪不足のため、この小径を登り、観音様の未だ奥の山へ。近所の方と、山■に頼み熊笹、雑木を貰い、背におい、之の径を度々通ったのも昨日のよう。現在の誓願寺様の少し下当りに、段々の水田が有り、お隣りの稲刈の手伝の思出も、昨日の様。三滝山の裾野をズット上に廻ったところに、火葬場か有った。之れは、組の方々のお世話で、藁、マキ、等準備して、皆様でお世話になるところ。私しの母は昭和十九年四月二十一日戦争の最中に病気で亡くなり、之の三滝の地で、皆様のお世話で決戦を祈って煙となり消えた。二十年の終戦もしも一年永らえていたら只一人で家の下敷で誰れにもみとられず消えたであろうと思うと一年後私しは母の死かうれしかった。一年早いため皆様のお供で之の三滝山の裾野での旅立ちをさせて頂いた。青い水の流れる放水路を眺めて、私しは一人思いに耽ける。春は桜、次いでみどり、秋のもみじと、道も立派になり、之の三滝山のうつり変りに心うたれることしきり、静かでなつかしい三滝を私しは忘れたくない。
三滝山附近(昭和19年頃)
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相原キクノ (69才)
病院(軍)

小川
三滝駅(旧)
火 町火葬場
水田
旧三滝参道
三滝観音
サイズ(cm) 38×42.8
展示の説明文

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