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トップページ原爆の絵己斐の別れの茶屋

原爆の絵

識別コード WH08-046
絵の内容 己斐の別れの茶屋
作者名(カナ) 下村 儀三(シモムラ ギソウ)
作者名(英語) Giso Shimomura
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和5年
情景場所 己斐の別れの茶屋
情景場所旧町名 己斐町
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,500m
ブロック別 己斐・草津地区
作者による説明 **絵中
赤いおびマーク 汽車はおなじみ三等車
別れん茶屋のふみきり
己斐は花と植木の町
旧国道
昭和5年通学する私は中学一年生
通称別れん茶屋は旧国道己斐の松原西はずれにある
己斐名物もち
別れの茶屋
草津から来る魚売り
草津方面に行く近道はここで別れる
旭山中学校
郊外電車宮島と西広島
己斐風物詩別れの茶屋こいに焦がれてたずねたひと夜けさに別れの茶屋もち 一九七八.六十才作
昭和五年わがなつかしの広島 己斐 別れの茶屋 一九七八.六
1978.6.下村儀三画
**裏
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下村儀三
電話□□□□□□□□□□□□□□

六十才
サイズ(cm) 60×44
展示の説明文 花と植木が有名だった街
絵/下村儀三氏
1930(昭和5)年頃
己斐町 爆心地から約2,500m
広島市の西にある己斐町一帯は花屋と植木屋発祥の地とされ、市内中心部の繁華街には、己斐からの花売りの姿や己斐で作られた盆栽が並んでいるのが見られました。市内電車が開通した大正時代からは、広島駅や郊外の宮島に向かう交通の拠点となりました。

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