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原爆の絵

識別コード WH08-025
絵の内容 宇品糧秣支廠の屠殺場
作者名(カナ) 上西 薫(カミニシ カオル)
作者名(英語) Kaoru Kaminishi
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和13年
情景場所 宇品陸軍糧秣支廠
情景場所旧町名 宇品町
情景場所現町名 宇品御幸二丁目
爆心地からの距離 3,130m
ブロック別 皆実・宇品地区
作者による説明 **裏
宇品にあった東洋第二の(第一は大阪)陸軍糧秣支しょうへ行ったのは一中四年の時であるから昭和十三年の夏のつもりである。飛びぬけて立派な内部で配色もよく清潔そのものの大きな建物であった。牛がはいるのをいやがるのが目にやきついている。獣医が炭ソ病、ヒダツソ病の無いことをたしかめマスクをかけて一気に殺す。皮をはいで肉片にするまで五分とはかからぬ。余が此の絵を画く位の速さである。二十分以内にカンズメ、(タケノコ、大豆、コンブ、肉、ハルサメ、又はコンニヤク砂糖醤油)を自動的にして試験室で一万個につき一つぬき出して検査する。万一不良品あればその日のものは全部ステル。サンプリング試験高校二年数学で習ったろう。わすれたがそれを更に三年間倉庫にいれ更にサンプリングして前線へ出す。今でこそ製造年月日だなんだって婦共はやかましく云うがカンズメは或る程度置かにや駄目なんだぞ。外国のものは皆そうだ。しらぬが仏よ。今の日本でこれまで完備したものは函館と下関にしかないと思う。余がドイツには学んだ時もハンブルク、キールにあったがこれ程までではなかった。陸軍の力は偉大であった。この場で肉をとってすぐ食うたら甘いと思うやろ。カトウてまずいものだ。若しNHKの記者がトサツ場でもらったら、コシヨーをまぶしてビニールにつつみ土を掘って夏で四日冬で十日うめてから食へ、うまくなるで。冷庫へいれてはいかん。皮は滋賀県へ塩づけて送りなめしてこんどは皆実町にあった陸軍被服しようで軍靴、帯、馬具になる。
(牛肉のやまと煮)-兵食、、一食一かん
今でもうってはいるが甘さが強すぎる。下郎共の口に合わせるからNHKの放送みたいなものだ。
53.6.7
〒□□□ □□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□ 医師 上西薫
電話□□□□□□□□□
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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