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トップページ原爆の絵白島九軒町河原の火振りの行事

原爆の絵

識別コード WH06-034
絵の内容 白島九軒町河原の火振りの行事
作者名(カナ) 三浦 高雄(ミウラ タカオ)
作者名(英語) Takao Miura
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 大正末期
情景場所 白島九軒町川原、神田橋
情景場所旧町名 白島九軒町
情景場所現町名 白島九軒町
爆心地からの距離 1,900m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵中
火振りの行事
白島九軒町河原の「火振りの行事」は旧藩時代から大正末期まで続けられたもので、毎年宮島の管絃祭(陰暦六月十七日)に行われ、この夜は大潮が川を遡って河原をひたすまでの行事で、時には千人以上の男子の子や大人が松明を持ち、河原に降りて『蓬莱三宝(ほうらいさんぼう清め給へ)』と大声を張りあげ、厳島明神へおあかりを捧げ、今年の無事を祈念したということである。
神田橋
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電□□□□□□□
三浦 高雄
(82)
明29年
サイズ(cm) 25.7×35.6
展示の説明文 火振りの行事
絵/三浦高雄氏
1912年~1926年(大正期) 京橋川
夏になると厳島神社で開かれる管弦祭を祝って、京橋川では火振りの行事が行われました。川の水が引くと川原に松明を持って降りて行き、五、六百人、時には千人以上の男の子や大人が参加して向こう岸まで走り回ったといいます。

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