トップページ原爆の絵母の死後、実家の墓の玉垣に植えた椿を持ち帰って自宅の屋上に鉢植にした。
識別コード | WH05-036 |
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絵の内容 | 母の死後、実家の墓の玉垣に植えた椿を持ち帰って自宅の屋上に鉢植にした。 |
作者名(カナ) | 秋山 アサコ(アキヤマ アサコ) |
作者名(英語) | Asako Akiyama |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | 1971/12/3 |
情景場所 | 紙屋町の自宅 |
情景場所旧町名 | 紙屋町 |
情景場所現町名 | 紙屋町 |
爆心地からの距離 | 200m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵中 母.木本リョウ □□□□□□□□□生 昭和三年三月十二日死亡健在なれば百十三才になります。来年は、五十年忌になります。 昭和三年母の死後、三十糎位の椿、二本を実家のお墓の玉垣の中え植えました。何年か月日が立ってお寺の、ご住職が蕊を、とめて下さいました。高さ、百五十糎、廻りは、二十二糎、一本の椿に、三色の花が咲きます。八重の花辨で、白・赤の絞り、紅色、赤など、蕊が三ヵ所に別れ、花粉も、三ヵ所について、見事に咲きます。この椿は、アメリカ原産の、ルック・アウエイ(絞り) ミセス・チャールズ・コッブ(赤) 昭和四十六年十二月三日、持ち帰りまして、自宅の屋上に、鉢植に■しております。私は子供の頃から手桶を持って、お墓参りをしておりました。結婚後も、毎月、一度はお詣りを続けておりました。原爆投下の時には家屋が焼失■し、転々と■し、一カ年はよう詣りませず、昭和二十一年五月に当地え帰りましたので今日迄、お墓詣りを続けています。原爆で下敷になり、全身に硝子の切傷を受けましたが、今日まで病気もしませず健康に、過して参りましたのは先祖・両親・特に母のお陰と、毎日感謝の涙で残り少ない人生を送っております。 TEL □□□□□□□□ □□□ □□□□□□□□□□□□□□ 秋山アサコ 74才 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 |