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トップページ原爆の絵水主町で建物疎開作業後に配られた馬鈴薯

原爆の絵

識別コード WH05-033
絵の内容 水主町で建物疎開作業後に配られた馬鈴薯
作者名(カナ) 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ)
作者名(英語) Miyako Sadatoku
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 1945/8/5
情景場所 水主町
情景場所旧町名 水主町
情景場所現町名 加古町
爆心地からの距離 1,100m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
県農業会では昭和二十年八月五日疎開仕事をした者にお昼食として一ヶ150g以上もある馬鈴薯を大きなザルに山盛一杯茹でて出して下さった。そしてお茶も頂いた。あの美味しい馬鈴薯の味は今だに忘れられない。それは食糧難下でも幾ら食べてもよかったのです。此の日の疎開仕事にはもと水主町にあった県庁や県病院の近くでした。左の馬鈴薯は疎開仕事にはつき物でした。だから皆んなホクホクに茹でてある馬鈴薯を並んで頂いたものです。昔飢饉にはそばと馬鈴薯を作らせたとか言い伝へがありますがよく云ったものです。
食糧難なのでおむすびではなくて大きな馬鈴薯の茹でたものでした。そんなにして堪えてきたのに!!
貞徳 ミヤコ 六十四才
**裏
貞徳 ミヤコ 六十四才
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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