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トップページ原爆の絵牛田の石燈篭

原爆の絵

識別コード WH05-022
絵の内容 牛田の石燈篭
作者名(カナ) 犬丸 フミ(イヌマル フミ)
作者名(英語) Fumi Inumaru
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 大正10年頃
情景場所 牛田
情景場所旧町名 牛田町
情景場所現町名 牛田旭
爆心地からの距離 3,500m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **裏
牛田のバスの終点にほど近い所
広島、そうして牛田、幼い時代を過したところは、年と共にはっきりと脳裏に残り何ともいえない懐かしさを感じるもの、「兎追いしかの山、小ぶな、釣しかの川」の歌と共に老いを感じる私にとって懐かしいもの、大自然のふところといった暖かさ、懐かしさを感じる。私は大正十年頃まで牛田の今の旭に住んでいた。親戚の美しい庭園の有る別荘であった。変貌したとはいえ今でもあの幼い頃遊んだ石燈篭(常夜灯)は残っていると思う。七、八年前親戚の葬儀に行った時、その思い出の石燈篭をちらと通りすがりに見て、ふと幼い時のことを偲んだのである。この灯篭の有る場所は、六畳位の広さであったかしら。勿論周囲は田ぼや畑で春になると、蓮華の花で花の絨毯を敷きつめたような快適の場所で昼まは私達女の子の恰好の遊び場所であり下の田ぼの蓮華の花をつんで首輪を作ったり、花を干して洗顔に使って美人になるなんて語りながら遊んだもの。そうしてこの灯篭と並んで二つの石柱が有りそれの側面に拾って来た石で力強くサッサッと摩擦して、火を出し喜んでいたもの。今でもその石柱に代々の子供達の遊んだ凹みは残っていると思う。初夏からの夜は、近くの青年男女の集合の場所であり田ぼを飛び交う蛍や、又夏の夜空を眺めながら、時には恋を語った男女も有ったことだろうと思う。その後私は父の転勤により、福山に大阪にと転々として、又女学校時代、早稲田区に戻り朝鮮に嫁いで行き、あちらで未亡人になり、又牛田の実家に戻り、原爆に会い、やむなく主人の郷里である当地に永住することになった。私の今までの人生で幼い時を、又娘時代を過したあの牛田も半世紀経た今では全く近代化して、あの頃の思い出を偲ぶもの、又あの頃のような風情が全くなくなって残念に思う。しかしあの石燈篭は、半世紀、やもっと前からの若き人々の語りを秘めてうつり行く周囲の中に昔の姿を残してゆくことと思う。今年の夏は遠方の妹と共にあの頃の偲び度く、広島を訪れる予定である。ああなつかしのわが広島よ待っていておくれ!!
六十六才 □□□□□□□□□□ 犬丸 フミ
サイズ(cm) 24×36
展示の説明文

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