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原爆の絵

識別コード WH05-018
絵の内容 矢賀町の岩山
作者名(カナ) 近藤 幸子(コンドウ サチコ)
作者名(英語) Sachiko Kondo
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時
情景場所 矢賀町の岩山
情景場所旧町名 矢賀町
情景場所現町名 矢賀
爆心地からの距離 4,000m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵中
てんぐの見張り台
てんぐたちの話し合いの場
てんぐの寝台
自家製の野菜を売る八百屋(地の人)
菓子の陳列ケース(一銭五厘などのかしが大切なもののように並んでいた)
ス ショウユ
一斗かんで水運びをする人
井戸屋 (ポンプ)(山口県の人)
表具屋(賀茂郡の人) 共同水道(井戸は家の中にそれぞれあった)
かご屋(大分県の人)
卸屋へ出すふ屋(山県郡の人)
ワラゾーリで長い間踏む
傘屋(安佐郡の人)弟子 骨に紙を貼る のり鉢
せんべい屋 (山口県の人) ほとんど卸屋に出す シオ入り 
(取って帰るところ)肥桶 牛馬 旅の僧侶 犬の肥車(町中に取りにゆくところ)
肉屋さん 馬車(切り石) 旅芸人 車が住居で娘二人に踊らせる 傘屋の傘干し場(番傘)油をひいて、干し、町名と氏名を大書してまた油をひいて干す
「岩山を飾る紅葉の錦かな」 旅の僧が短冊に書いたよきところ。場所は矢賀町になる岩山で岩鼻、という方面から見たところ。戦前は必ず兵隊さんが演習して隊に帰る時の休けいの場所であった。昔には、天狗が住んでいたといい伝えられていた。だからみんな天狗山といい子供たちのよき遊び場であった。昭和十年頃からこの天狗岩が切り石として売られるようになった。犠牲者が出た時は天狗さんのおいかりと思った。旧家の金子薬屋(岩鼻の)には天狗さんが店に祭ってあった。(岩にこしかけた天狗さんは八ツ手のうちはを持ってにらんでいた。一本歯の高下駄をはいていた。
この一区画の人たちは事業に失敗して、ここで再起をはかる場であるように見えた。根っからの朗らか人で他人に親切で、大きな夢を捨てない人であった。この人たちは今はあの世で声高く苦労話を話し合っていることだろう。戦後区画整理により道路となってしまった。私は傘屋の娘である。戦前の働く男の人はほとんど頭に手拭いの鉢巻をしていた。
近藤幸子
**裏
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TEL □□□□□□□   近藤幸子
サイズ(cm) 25.5×35.5
展示の説明文

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