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原爆の絵

識別コード WH03-121
絵の内容 立石産業軍事工場で働く女生徒達
作者名(カナ) 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ)
作者名(英語) OGASAWARA Haruko
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 1945年(昭和20年)2月頃
情景場所 立石産業軍事工場
情景場所旧町名 大手町八丁目
情景場所現町名 大手町
爆心地からの距離 1,100m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵中
昭和20年早春二月頃戦火の中に学徒動員召集され「立石産業軍事工場に行く」国民第二小学校頃今は亡き友と、朝夕に歌ったあの思い出は我が友、花はつぼみのままに散りそめた小さな命、ああ友の歌声は今も耳に残っています。
「丘にはためく あの日の丸を
あおぎ目に 我れの命
何時かあふるる感謝の涙は
燃えて来る、頬笑顔が、
我れらは皆、力の限ぎり勝利の日まで
勝利の日まで」
赤川教師
生徒数四十数名
現在 生存者数名
軍服、軍帽、軍足と、友は皆一生懸命作製していた
当時私十四才頃
軍服に目を通す友
機械に手がとどかないので
台の上にあがり
軍足を、作る私
軍足
軍足係向なっているのは私
モーターミシンで軍帽を縫う友
小笠原 春子
(44才)
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サイズ(cm) 35.7×53.5
展示の説明文 軍需工場で働く女学生
絵/小笠原春子氏
1945(昭和20)年2月頃
戦争によって成年男子の労働力が不足してくると、中等学校以上の学生・生徒は、軍需工場などに動員されるようになりました。生徒たちは、飛行機の部品を作ったり、軍服を縫ったりしました。

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