識別コード | WH03-117 |
---|---|
絵の内容 | 舟入国民学校 |
作者名(カナ) | 松本 政夫(マツモト マサオ) |
作者名(英語) | Masao Matsumoto |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | 昭和19年 |
情景場所 | 舟入国民学校 |
情景場所旧町名 | 舟入川口町 |
情景場所現町名 | 舟入南二丁目 |
爆心地からの距離 | 2,330m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **絵中 昭和19年戦局はきびしさをまし校庭には待避壕が作られ運動場は5、6年生によってさつまいもが植えられた。川向うの吉島飛行場から戦闘機が飛び立った。金属回収が行なわれ山と積まれ子供の玩具まで回収された。当時の立看板にはアッツ島に続け」「勝までは欲しがりません」の言葉が印象に残る。20年春学童疎開はじまる。「太郎は古里え、花子は母の古里え」と歌って疎開した学友達、今どうしているであろう。父は戦地で、母、妹、弟は原爆で帰らぬ人となった。 |
サイズ(cm) | |
展示の説明文 | 戦局が厳しさをまし運動場にさつまいもが植えられた 爆心地から2,200m 舟入国民学校(中区舟入南二丁目) 1944(昭和19)年 松本正夫(原爆投下当時11歳) 絵中解説 戦局は厳しさをまし校庭には退避壕が作られ、運動場に5,6年生によってさつまいもが植えられた。川向こうの吉島飛行場から戦闘機が飛びたった。金属回収が行われ山と積まれ子どもの玩具まで回収された。 (「わがなつかしの広島」から) |