識別コード | WH03-074 |
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絵の内容 | 比治山御便殿 |
作者名(カナ) | 加川 博美(カガワ ハクミ) |
作者名(英語) | Hakumi Kagawa |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | わがなつかしの広島 |
情景日時 | |
情景場所 | 比治山御便殿 |
情景場所旧町名 | 比治山公園 |
情景場所現町名 | 比治山公園 |
爆心地からの距離 | 1,980m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵中 戦前広島一の桜の名所折紙付き 比治山の桜数千本ありの時有った 桜花の盛は数万人の人も日夜桜の下酒宴を開いて賑やかであった。下に方面に遊園地の有った この建物は御大禮記念館 どなたかの漢詩が建れていた 御便殿 明治二十七年日清戦争明治大帝は広島に大本営を御進めにお成り第七回帝国議会開会を成されて練兵場に御便殿に国会を開かれて御滞在中国会召集中御使用になった御品をすべてを明治四十二年御払い下げを受け此の比治山に移された建造物 廻りには金網が張られ鳥や虫入らぬ様していた。 御便殿は海抜一七一.一メートルの中腹に此所上る道も昭和四、五年頃に開通 御便殿道に巾橋の下を通る 此の橋を雲霓橋と呼んでいた。橋の近くに広島の人時大蔵大臣速水征璽の銅像あった。此ノ立石ハ広島市播磨町有志の建設 此の大鳥居は東京で御大禮の行なわれた時使用の大鳥居ときいていた、ときく。 銅板が全部張られていた、御大典記念 揮毫文子ハ侯爵浅野長勲之書 避雷針 宝物殿 皇太子御手植之松 此の燈台一封 在郷軍人会市分会の建設 売店あった 陛下の御遺徳を忍ぶため建設されたものですと、きく。 鯉や小鳥の囲いが大きく作られていた。噴水もあった。 御便殿御行啓 今上陛下之皇太子殿下御展望跡 以後広島市藤田若水市長之展望台跡を築かれた由 大正十五年五月二十六日此所ヨリ広島市街展望成サレタ 元帥海軍大将伯爵加藤友三郎 広島出身の将官ときく **裏 □□□□□□ 加川博美 七十七才 S.15.6年頃の比治山神社 **別紙 拝啓時候柄前略御免下さい。NHK本部には■に御多洋の候大慶び申上げます。不生小生広島戦前のなつかしの絵をとのことで試みて見ました。何しろ絵の素様もなく目も衰えて■に出来ませんでした。先日小生の頭の中に有戦前の様想とどうかと一度行きて見ました。わたしら若い時の思いと地型こそ変わっていませんが、樹木はすっかり変わって大きくなおそらく桜並木二代目かも判りません。道ばたに植えてあった木もとても思いがけな大きうなりて松の古木は殆どなくなり淋しい思いでした。桜花様子はかきませんでした。初夏と云う■所ですが、訳をかくスペースがなくなくなるので御便殿の所在地建物と当時の建造物のみを一部かきました。人物も書いて居りません。海抜はNHKの方より市役所でお聞き下さい。よく判りません。七一-METAか一七一米突か覚え居りません。以上小生の頭に覚えのあるのみを書きました。不悪ず御了承下さい。 当時あらましを書いて見ました。もしか絵が沢山有りましたなら、ホゴにして焼って下さい。其の当時スケッチをとしていたらくわしい絵も出来るかも知れません。若い時勤労に懸命戦後余り■て見る事もありませんでした。ほんの子供の小さい時はたまに行った位であります。お察し下さい。御願い申し上げます。 なつかしの広島の絵係 御中 □□□□□□□□□□□ 加川博美 七十七才 追伸 乱文誤字ところ御察し下さい。 |
サイズ(cm) | 25.5×35.3 |
展示の説明文 |