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トップページ原爆の絵比治山の正午の時報と吊り橋

原爆の絵

識別コード WH03-016
絵の内容 比治山の正午の時報と吊り橋
作者名(カナ) 原田 みどり(ハラダ ミドリ)
作者名(英語) HARADA Midori
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時 昭和初期
情景場所 比治山吊り橋
情景場所旧町名 比治山公園
情景場所現町名 比治山公園
爆心地からの距離 1,980m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵中
ドン

□□□□□□□□□□□□□ 原田みどり
比治山のドンと吊橋
昭和の初めまでは比治山で正午になると空砲を打ち上げていました。今の市中よりも当時は町全体が静かなたたずまいでしたから宇品の海岸通り。横川。白島。キリンビール。のあたりとかなり遠くまでひびいて正午を知ることが出来ました。そとで仕事をしている人を昼飯しに呼ぶのにもドンがなったけえ昼御飯にしましょうやと呼びます。広島市はこれをあいづにあちこちの正午のサイレンが鳴りました。吊橋から右手(今の原爆放射能研究所)は陸軍第五師団の要塞地帯でやたらに立ち入り禁止となっていました。吊橋の下から三十米ばかりごべん殿の方に行ったところに加藤さんの銅像がありました。比治山は当時市民には何となく親しみのある山でごべんでんの前の山には千本桜。千本松原の名前のついている所もあって春は花見で賑はったものです。
サイズ(cm) 37.8×53.8
展示の説明文 正午を知らせた比治山の大砲
絵/原田みどり氏
1926~1930年(昭和初期)
比治山 爆心地から約1,950m
桜の木が多く植えられ、春になると花見でにぎわった比治山は、市民に親しみのある山でした。昭和の初め頃までは、正午になると空砲が打ち上げられ人々にお昼が来たことを知らせていました。

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