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トップページ原爆の絵三篠鉄橋踏切の地蔵様(白島側)

原爆の絵

識別コード WH02-005
絵の内容 三篠鉄橋踏切の地蔵様(白島側)
作者名(カナ) 川上 恵美香(カワカミ エミカ)
作者名(英語) Emika Kawakami
当時の年齢
寄贈者名
種別 わがなつかしの広島
情景日時
情景場所 三篠鉄橋踏切の地蔵様
情景場所旧町名 白島西中町
情景場所現町名 西白島町
爆心地からの距離 1,600m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵中
三篠鉄橋踏切の地蔵様(白島側)
**別紙
広島放送局 「わがなつかしの広島の絵」の係り様
本年やっと十枚のスケッチ風のものを画きました。小学校時代の絵は白島町ですごしましたが、その前は比治山、竹屋町にもいました。それは子供を沢山かかえた両親も我々兄弟姉妹が大きくなるにつれ勉強部屋も欲しくなるし、広島にながく住んでいると市で親しいお付き合いをするようになるとも一つ部屋も欲しいと次第に大き目の家へ便利のよい家と移りたくなったからだと思います。特に田舎から出た私たちのところへはやれ小学校だ、出征だ、見舞いだと云う時には田舎から頼られて出入りも多く泊まられる方も増して来ますので経済的なゆとりもさりながら「顔」を考えてか前よりは大きな家、前より便利な家と借家を探して住んだからなのです。私も次第に市の地理に精しくなり殆どの地理的なことは小学校のうちに分かったように思います。まだまだ■事や目立った家など画きたかったのですが、現在の家業も忙しく(旅館)表記の方法もつたなく、時には平面図にしてみてはと思うこともありますがこの企画をまだまだ続けられるのでしょうか。子供の勉強部屋の隣りで私ももう少し寝ないで頑張ってみようと画用紙に向っても昼間の疲れで眠気も来ますし思うにまかせません。原爆後広島での生活も思い出してせつなく当時の友人もお互いに年よって電話やたまの便りで近況を話し合ったり時には訪れ会っています。今はすっかり変った広島も私にとっては第二のふるさとで進学後は広島へ帰るのに島をめぐってみたり鉄道やバスで内陸部をまわったりしたものでした。師範学校卒業後就職は市内でした。罹災後何とか頑張って広島に止まりたいと思ったのでしたが遂に生活し切れず田舎へ入り次に生れ故郷へ帰って四十年勤務しました。こうして嫁として山の中に住まっていましてもいろいろなニュースもよく入って来ます。友達のこと街のことやっぱり広島は「わがなつかしの広島」でした。
係様
□□□□□ 川上恵美香
サイズ(cm) 24.5×18.5
展示の説明文

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