識別コード | SG-0656 |
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絵の内容 | 慰霊碑について1 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1946/2 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *絵中 被爆当時1年電気科 西岡誠吾 被爆75年の節目に、亡き友を思い出しながら慰霊碑の建立について記述します。 現地に慰霊碑を建てました 被爆の翌年2月の寒い朝、橋本先生と電気科1年生の生き残り生徒10人が慰霊碑を担いで建物疎開作業現場に慰霊碑を建てました。慰霊碑は倒壊した校舎の柱を切って作りました。 学校(千田町)から作業現場まで1.5㎞をみんなは道具を持って歩きました。もう戦争が終わったので、ゲートルは巻かないで軍隊式の行進はなく、小学校の遠足気分でした。 広島の街は見渡す限りの焼け野原になり、とても静かで、動く物は市内電車だけでした。遠くの鉄橋を渡る汽車の音、広島駅の案内放送が冷たい北風に乗って聞こえました。 私たちの服装は、ジャンバーや手袋の防寒具はなく、履物は下駄や草履の生徒もいました。それでもみんなは元気にはしゃいで、焼け野原に点在する焼け残ったビルを指さし「あれは福屋じゃ」「あれは産業奨励館じゃ」「あれは芸備銀行じゃ」と争う様に言い合いました。 |
サイズ(cm) | 29.7×21 |
展示の説明文 |