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トップページ原爆の絵「あの日」カメラマンを見た7 御幸橋西詰めの地図

原爆の絵

識別コード SG-0655
絵の内容 「あの日」カメラマンを見た7 御幸橋西詰めの地図
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)午前11時頃
情景場所 御幸橋西詰
情景場所旧町名 千田町三丁目
情景場所現町名 千田町三丁目
爆心地からの距離 2270
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 *別紙
「あの日」カメラマンを見た
私は「あの日」1945年8月6日。爆心地南2㎞で被爆して火傷と怪我をしましたが多くの人に助けられました。県立広島工業学校1年生の13歳でした。
避難をする時、御幸橋西詰めに20分位滞在した時の思い出を記述します。被爆3時間の午前11時頃です。

*絵中
7 御幸橋西詰めの地図
1) カメラマンが私の前に来た時は3枚目を撮ろうとした時でしょう。
2) 1枚目と2枚目の写真はどちらもカメラを意識した人がいません。被爆者はカメラマンに気が付かなかったのでしょう。
3) カメラマンの姿は、避難をしてきた被爆者に比べ、まともな服装をしていたので非常に目立ちました。
4) ここに集まった被爆者は、生き地獄を語れる健在な人はいるのかな?
(カメラマン:松重美人さん 中国新聞社写真記者、中国管区司令部報道班員)
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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