トップページ原爆の絵「あの日」カメラマンを見た6 火傷の治療
識別コード | SG-0654 |
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絵の内容 | 「あの日」カメラマンを見た6 火傷の治療 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前11時頃 |
情景場所 | 御幸橋西詰 |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2270 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *別紙 「あの日」カメラマンを見た 私は「あの日」1945年8月6日。爆心地南2㎞で被爆して火傷と怪我をしましたが多くの人に助けられました。県立広島工業学校1年生の13歳でした。 避難をする時、御幸橋西詰めに20分位滞在した時の思い出を記述します。被爆3時間の午前11時頃です。 *絵中 6 火傷の治療 御幸橋西詰めの避難者が1列に並んでいました。近くの人に聞くと「火傷の治療をしてもらえる」と言ったので、私はその列に並びました。 兵隊さんが、ほうきの先に白い布を巻いた物を、食用油が入ったドラム缶の中に入れて、油が滴るほうきを被災者に向けて固定しています。被災者は自分で火傷の部分をほうきの先に当てて油を塗りました。要領が悪いと「早くせッ」と怒鳴られていました。 油を塗ってもらうと、また避難の列に加わり宇品方面へと一人で歩き出しました。 (兵隊さんではなく、警防団員でした) |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |