トップページ原爆の絵「あの日」カメラマンを見た5 水を求める上級生
識別コード | SG-0653 |
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絵の内容 | 「あの日」カメラマンを見た5 水を求める上級生 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前11時頃 |
情景場所 | 御幸橋西詰 |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2270 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *別紙 「あの日」カメラマンを見た 私は「あの日」1945年8月6日。爆心地南2㎞で被爆して火傷と怪我をしましたが多くの人に助けられました。県立広島工業学校1年生の13歳でした。 避難をする時、御幸橋西詰めに20分位滞在した時の思い出を記述します。被爆3時間の午前11時頃です。 *絵中 5 水を求める上級生 カメラマンが去って暫くぼ~としていました。 横の方で人を呼ぶように「おい!、おい!」と声がしました。上半身裸で大やけどをした中学生が地面に横たわっていました。どうやら私を呼んでいるようで、お互いに目が合うと「ワシは〇年〇科の○○じゃ、水を持ってこい」と弱々しい声で私を見ていました。鬼より怖い上級生です。私はとっさに痛む両足を揃えて軍隊式の挙手の敬礼をし、「水を持って参ります」と大きな声で返事をしました。 しかし、水道の蛇口も水を入れる物もなく途方に暮れていました。しばらくして、「火傷に水を飲ませたら死ぬる」と言われ、迷いながらその場を離れました。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |