トップページ原爆の絵「あの日」カメラマンを見た4 スパイだ!
識別コード | SG-0652 |
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絵の内容 | 「あの日」カメラマンを見た4 スパイだ! |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前11時頃 |
情景場所 | 御幸橋西詰 |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2270 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *別紙 「あの日」カメラマンを見た 私は「あの日」1945年8月6日。爆心地南2㎞で被爆して火傷と怪我をしましたが多くの人に助けられました。県立広島工業学校1年生の13歳でした。 避難をする時、御幸橋西詰めに20分位滞在した時の思い出を記述します。被爆3時間の午前11時頃です。 *絵中 4 スパイだ! 御幸橋西詰めの派出所の横で、市電通りの方をぼんやり見ていました。これから避難はどうすればよいか、家族はどうなっているか、今晩はどこで寝るか、学校の授業はどうなるのかと不安な気持ちでした。 その時、突然カメラを持った軍服姿の男性が右の方から現れました。軍服姿だが階級章がないので「スパイ」だと思いました。近くにいた人々も「あれはスパイじゃ」「巡査に・・・」「憲兵に・・・」と騒ぎが大きくなりました。 カメラマンはファインダーを覗いたり、私たちを見たりを2~3回繰り返していましたが、何だか慌てた悲しい顔をして立ち去りました。私が見たのは1分位でした。 (当時は、屋外の写真撮影や写生は機密保持のため厳しく制限されていました) |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |