トップページ原爆の絵「あの日」カメラマンを見た2 御幸橋西詰め
識別コード | SG-0650 |
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絵の内容 | 「あの日」カメラマンを見た2 御幸橋西詰め |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前11時頃 |
情景場所 | 御幸橋西詰め |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2270 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *別紙 「あの日」カメラマンを見た 私は「あの日」1945年8月6日。爆心地南2㎞で被爆して火傷と怪我をしましたが多くの人に助けられました。県立広島工業学校1年生の13歳でした。 避難をする時、御幸橋西詰めに20分位滞在した時の思い出を記述します。被爆3時間の午前11時頃です。 *絵中 2 御幸橋西詰め 二人の上級生に助けられて御幸橋西詰めまでたどり着きました。そこには大勢の避難者がいました。やっとたどり着いて力尽きた人。市の中心部の燃え盛る炎におびえる人。仲間に逢えて喜び合う人。火傷や怪我に苦しむ人など様々の避難者が集まっていました。 二人の上級生は「わしらは家にかえるけー、お前は一人で逃げろ」と言って走り去りました。一人ぼっちになった私は、近くにいたおじさんに、「白島の家に帰るにはどうしたらいいですか」と聞きました。するとおじさんは「広島の街は火の海じゃけ、いかりゃあせんよう」と言いました。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |