識別コード | SG-0648 |
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絵の内容 | 防火用水槽3 火の玉 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | 広島駅の南 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | *絵中 3 火の玉 被爆後、初めて学校に行くため向洋に下宿することになりました。父と二人で布団や生活用品を持って行きました。中学1年生。 12月初めの夜、広島市内の焼け野原を歩きました。市内は一面焼け野原で灯りが見えず真っ暗の夜道を歩きました。 何も目印になる物がないのに、父は迷うことなく道を選んで歩きました。 広島駅の南を歩いている時、防火用水槽から青白い「火の玉」が出てきました。私は「アッ、お父さんあれは何!」と叫びました。すると父は「死んだ人の骨が燃えとるんよ」といって気にすることなく黙々と歩いていました。私は怖い物見たさで何度も振り返って見ました。 被爆後4カ月を経ても遺骨の供養がなされていないことに哀れを感じました。 最近、幼馴染と話す機会があり、彼女は「私は被爆後沢山の火の玉を見たよ」と言いました。 翌日、学校で級友と会えることを楽しみにしていましたが、先生から「誰一人学校に帰ってこなかった」と言われ大変ショックでした。 生き残った者として亡き友の供養に努めたい。 以上 |
サイズ(cm) | 40×29.7 |
展示の説明文 |