識別コード | SG-0646 |
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絵の内容 | 防火用水槽1 防火用水槽 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | 西白島町 |
情景場所旧町名 | 西白島町 |
情景場所現町名 | 東白島町 |
爆心地からの距離 | 1400 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | *絵中 防火用水槽1 防火用水槽 戦時中、市民は防空法によって、自分の家や隣組の管理区域の防火活動を義務付けられていました。だから防火用水槽は防空壕と同様に街中のいたるところに設置されていました。どっしりとしたコンクリートで作られているのは、火災で燃えたり爆風で飛ばされないためでしょう。 私の家の横に大きな防火用水槽と給水用手押しポンプが設置されました。何時も満水で空襲に対して心強い思いでした。 水が濁ると当番の人が水を抜いてきれいに掃除をして、みんなで交代に手押しポンプを押して新しい水を満たします。 隣組の10軒が適当に給水すると、満水にならなかったり、その逆で給水しない人がありました。 その対策として隣組の組長をしていた父は水槽内壁に10等分の目盛りをペンキで記入しました。その後はどの家も平等に給水することが出来ました。 水道の蛇口から給水すれば簡単ですが、「もったいない」の時代でした。 ある日、ポンプを押す音と赤ちゃんの泣く声がしました。私は駆けつけて代わってポンプを押しました。おばちゃんは「ボクは偉いね」と言いました。私は調子に乗って一生懸命にポンプを押しました。 私はこの水槽が遊び場でした。潜水艦の模型で遊び、オタマジャクシを入れて成長を楽しんでいました。小学校時代の思い出です。 |
サイズ(cm) | 42×29.7 |
展示の説明文 |