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トップページ原爆の絵学童疎開で家族の迎えを待つ弟

原爆の絵

識別コード SG-0643
絵の内容 学童疎開で家族の迎えを待つ弟
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/9末頃
情景場所 興聖寺
情景場所旧町名 双三郡三良坂村
情景場所現町名 三次市三良坂町
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *絵中
昭和20年9月末頃 双三郡三良坂町興聖寺(児童集団疎開場所)
中島国民学校5~6年生270名と教師14名で双三郡三良坂町へ集団疎開した。町内8ツの寺に分散し、宿舎としていた。弟(狷介 6年生)は、■■先生が引率される(中島新町 木挽町 天神町)30名に入っていた。
昭和20年8月6日広島は、原爆により人、家屋など全てを失った。
8月15日の終戦 各親族などの努力で疎開していた30名のうち28名は8月末には帰広していた。9月に入っても連絡がつかないのが弟と五年生の女の子二人になっていた。
みらさか 三良坂
先生(談)
2人は何も言わないが、9月中旬頃から、村で習って造った草履を履いて、広島から汽車が来る頃になると、駅の近くに走っていっていた。迎えの人をどんなに待っていたのか、心情を察するには余りある、とも云われていた。
2021年令和3年7月 尾崎稔89才
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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