識別コード | SG-0620 |
---|---|
絵の内容 | 被爆直後の少年 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前8時15分 |
情景場所 | 南大橋東詰め 広島魚市場前 |
情景場所旧町名 | 大手町九丁目 |
情景場所現町名 | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離 | 1700m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *絵中 被爆直後の少年 死んで、たまるか! 被爆被災 概要 1日時 昭和20年8月6日(月)AM8時15分 2場所 広島市大手町南大橋東詰め、広島魚市場前、路上爆心地より1.2㎞ 3少年 広島修道中学校2年生 尾崎稔13才 4被災状況 火傷:顔面左半分、左手甲半分、地下足袋コハゼ金具部分など 2020年令和2年10月 尾崎稔88才 *別紙 被爆時の回想 昭和20年8月6日(月)午前8時15分、原爆で被災。 当日8時頃警戒警報解除、急いで登校(当日は9月の広島中学校水泳大会へ向けての練習日初日)大手町、南大橋東詰めの広島魚市場の処に来た時、路上の人達が東の空を見て何か叫んでいた。「何に?」と聞こうとして後ろを振り返った時、瞬間!! 空から大量の光線が降り注いで来た。 何か起きたのか判らなかったが、非常時の時、常に訓練していた、伏せの体勢をとった。(眼、耳を両手で塞ぎ、伏せること) 1 何だ、この光線は?警戒解除で爆弾ではないはず?電鉄の高圧線の事故としては規模が大きい? 2 伏せの体勢のまゝ、両手をゆるめて周辺を確認。外は眞暗闇、静寂。アレ!! 俺は死んだのか?死とはこんなことなのか?生死すら判らず混とんとした状態が続く。 3 数刻して再度手をゆるめて外を見る。少し動きがあった。全面が少し明るくなり、子供の頃、玩具の映写機で見た画像のようにスローで斜線の多い画像に似た闇、“生きているぞ” “死んでたまるか” 始めて自分を自覺した。 4 周辺をみると、路上にいた人達が、爆風によるものか、道路南側に寄せられ倒れていた。魚市場もつぶれていた。 2020年10月 尾崎稔 88才 |
サイズ(cm) | 54×38 |
展示の説明文 | 尾崎稔さん 当時13歳 大手町5丁目 爆心地より1.2km 修道中学校2年生。 通学途中に被爆し、左顔面や手を熱線で焼かれました。 祖母、母、妹は未だ行方不明です。 |