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トップページ原爆の絵市役所前 たくさんの負傷者

原爆の絵

識別コード SG-0615
絵の内容 市役所前 たくさんの負傷者
作者名(カナ) 多田 キクエ(タダ キクエ)
作者名(英語) TADA Kikue
当時の年齢 19歳
寄贈者名 溝久 充江
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/7
情景場所 市役所
情景場所旧町名 国泰寺町
情景場所現町名 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離 1020m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 *絵中
市役所

*別紙
被爆体験について 当時満19歳
当時看護婦として陸軍共済病院に勤務していたが、5日に田舎(山県郡豊平町)に帰っていた。
(被爆後)弟の入隊の為、一緒に市内に入る。横川から、相生橋まで来ると、渡れないので三篠橋を通り、駅に行き、弟と別れて、比治山の下に来たら、急救護所が出来被爆者が多いため通れず、比治山橋を渡り、市役所の前を通り、御幸橋を渡り我が病院(陸軍共済病院)現在の県病院 病院に入ると、被爆者ばかりで職員も被爆して人数が居らず、全く無傷の私はその時より不眠不休で看護にあたりました。
夜は広場で野宿、毎日死体の整理で、つかれから、発熱、下痢が続き、でも国の為に頑張ろうと思い、動き廻りました。

*別紙2
歩いている人は、衣服は破れ、全裸に等しく、わかめをぶら下げているようで、焼けた身は、赤肌が見え、何かがささったのか、ざくろが口を明けた如く、いたましくて涙も出ない。
ひっきりなしに、水、水とあちこちから聞こえる。この世の声とは思えない。市役所は窓から火を吐いている。
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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