識別コード | SG-0595 |
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絵の内容 | 広商の野球の練習を見に行った |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1941初め~夏頃 |
情景場所 | 県立広島商業学校 |
情景場所旧町名 | 江波町 |
情景場所現町名 | 舟入南6丁目 |
爆心地からの距離 | 2880m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | 絵中 野球 (S16年初~夏頃) 11才 野球は、中学校の甲子園をめざす戦いが盛んで、広陵中、広商が有名だった。昭和16年広商が全国選抜に選ばれた頃は、時間がとれれば江波の広商グランドに練習を見に行った。当時は電車数も少なく、中島から江波へは12間道路(現、電車江波線)を走って行った。 何時も1塁側後方に地元ファンのオヤジさん達が陣取り、寒い日には折れたバット等で焚火をして暖をとり選手をヤジりまくっていた。これが面白いので僕達も一塁側スタンドを定位置と決めて練習をみていた。三遊間は鉄壁だった。 2020年令和2年4月 尾崎 稔 88才 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |