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トップページ原爆の絵戦前の広島の蹴球(サッカー)

原爆の絵

識別コード SG-0585
絵の内容 戦前の広島の蹴球(サッカー)
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1939~1942頃
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 絵中
蹴球(サッカー) S14~17年頃
中学校では広島一中と修道中が強かった。
昭和18年頃から戦争も激しくなり、敵国スポーツとしてサッカーも下火となり試合等も無くなって行った。(当時はシュウキュウと云っていた)

少年サッカーのルール(大半が先輩からの伝承)
1, 審判:不要(全員が審判)
2, 人員:何人でもよい
3, 反則など:例へば、ハンドリング、オフサイド、ホールディング等は見た者が「イモ!!」と呼び、両者が確認して判定していた。

広島市内の小学校でユニホームを揃えていたのは皆実小のみだった。
又我々のような我流サッカーでなく、技術的にも優秀で常勝校だった。サッカーボールが無く学校の教員用バレーボールの古いボールを無断で使用して再三怒られていた。
2020年(令)2年3月 尾崎 稔 88才 画
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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