識別コード | SG-0578 |
---|---|
絵の内容 | 祖母、母、妹の遺骨を探す |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/9 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | 大手町8丁目 |
情景場所現町名 | 大手町 |
爆心地からの距離 | 1100 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *絵中 親族(遺骨)を探す 昭和20年9月 尾崎稔13才・狷介10才 祖母・母・妹を探す 爆心地から500m(大手町8丁目) 広島市役所 被爆火傷 工兵帽 双三郡三良坂に疎開していた弟を連れ戻し、2人で数回探した。 当時、原子爆弾、放射能などの云葉もよく知らず、無知であった。 年齢を重ね、入市被爆者である弟も、私と同じく二度ガンになった。 稔 大腸ガン、胃ガン 狷介 肺ガン、胃ガン 溶着、破損したビン、茶碗、皿など使える物は持ち帰り使用した。 2020年 令和2年3月 尾崎稔88才 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 作者 尾崎稔さん(被爆当時13歳) 尾崎稔さんは、通学途中に被爆。左顔面や手を熱線で焼かれ、坂町の収容所に運ばれました。やけどで口半分が開かず、寝たきりの状態で、周りの人は次々と亡くなっていきました。8月20日に親族が迎えに来るまで、尾崎さんは、生死の境をさ迷いました。建物疎開作業に動員されていた母、自宅にいた妹と祖母は行方不明のままです。 遺骨を探す 1945年9月。尾崎稔13才、狷介10才。祖母・母・妹を探す。 |