トップページ原爆の絵被爆の翌日、元安川下流で、原爆に焼かれ背びれを失いながら泳ぐフナ
識別コード | SG-0573 |
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絵の内容 | 被爆の翌日、元安川下流で、原爆に焼かれ背びれを失いながら泳ぐフナ |
作者名(カナ) | 佐野 博敏(サノ ヒロトシ) |
作者名(英語) | SANO Hirotoshi |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | 佐野 博敏 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)AM4:30頃 |
情景場所 | 元安川下流(千田町付近) |
情景場所旧町名 | 千田町付近 |
情景場所現町名 | 千田町付近 |
爆心地からの距離 | 2500 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *別紙 「泳ぐ焼魚」 灰で縄を束ねる難題を老婆の知恵で切り抜ける話は、姥捨説話でよく知られているが、ここに紹介する「泳ぐ焼魚」は悪魔の知恵ともいうべき実話である。 広島の原爆の翌日未明、大竹町の工場で勤労学徒だった私たちは、工場の小型蒸気船で広島市に残した私達の家族の安否確認に向かった。 早朝、船が太田川河口に着岸し始めた頃、船縁を、背鰭を失い、鱗も半ば焼け落ちたかの魚ー大きめの鮒であったろうーが水面に漂っている。手を伸ばすとフラフラと泳ぎ去り、また漂う有様を、その時はそのまま見過ごしたが、後になって、この魚は原爆炸裂時に、水面近くで強力な放射線に被爆したものと思い当たった。 爆心地に近い富士見町自宅で被爆、負傷、避難時に失神、辛くも重傷者として収容された母親は、5日後に坂町の収容所で発見され、身動きも禁止されていた安静が、却って二次放射線障害を悪化させなかったらしく、半年後には白血病の症状も次第に改善した。 その一息ついた頃から、市内の惨状とは対照的に早朝の澄んだ水の流れに身を任せて生きながら焼き魚にされて漂っていた哀れな魚の姿が思い出されるようになったのである。 |
サイズ(cm) | 21×29.6 |
展示の説明文 | 泳ぐ焼き魚 作/佐野博敏さん(被爆当時17歳) 作者の佐野博敏さんは、母親を探すため、8月7日午前4時半頃、船で広島市太田川河口に到着しました。 「船縁を、背びれを失い、ウロコも半ば焼け落ちたかの魚—大きめのフナであったろう—が水面に漂っている。後になって、この魚は原爆炸裂時に、水面近くで強力な放射線に被爆したものと思い当たった。」 |