識別コード | SG-0566 |
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絵の内容 | 「ナチス党の歌」 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | 西白島町 自宅 |
情景場所旧町名 | 西白島町 |
情景場所現町名 | 東白島町 |
爆心地からの距離 | 1400 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | *別紙 西岡誠吾 戦時中の記憶「ナチス党の歌」 家族5人が揃って夕食を食べる時は、ラジオ放送を聞きながら楽しいひと時を過ごしていました。戦時下の粗末な食事や、灯火管制の暗い環境でも家族が揃うと、とても幸せなひと時でした。ニュースの時間になると、勇ましい「軍艦マーチ」が流れ「大本営発表。我が帝国海軍は…」と戦果を発表し、続いて「ナチス党」の歌がドイツ語で流れてきます。 すると、次兄(中学2年生)は、ラジオのスピーカーに耳を近づけて聞き始めます。 「ナチス党」の歌が終わると「日本の皆さん、こちらはドイツ・ベルリン放送局です。ドイツ軍は西部戦線で…」と日本語で戦果を伝えます。大本営もベルリン放送も同じように華々しく戦果を放送していました。ベルリン放送が終わると、次兄はドイツ軍の戦況をみんなに説明します。ヨーロッパの国や都市の名前をスラスラと話すので「次兄は偉い」と思っていました。 我が家のラジオは大きくて、上部には蓄音機が内蔵され、音質も良く、父親の自慢でした。レコードケースには軍国主義時代のレコードが10数枚ありました。 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 |