識別コード | SG-0562 |
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絵の内容 | 「冷たいミカン」 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/9(時刻)PM3:00頃 |
情景場所 | 宇品町 暁部隊 |
情景場所旧町名 | 宇品町 |
情景場所現町名 | 宇品町 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | *別紙 8月9日の記憶 令和元年盛夏 西岡誠吾 まえがき 私は爆心地南2㎞で被爆して、火傷と怪我をし、多くの人に助けられました。 兵隊さんの献身的な援助を受け、収容所へは担架に担がれ、トラックや船で次の通り移動しました。 8月6日~7日 広陵中学校(宇品) 8月7日~9日 暁部隊(宇品 陸軍船舶隊) 8月9日~15日 横浜国民学校(坂町 横浜小学校) 8月15日~ 親戚宅(尾道市因島原町) この期間で、「8月9日」の記憶について記述します。「あの日」のことは、昨日の事の様に記憶をしていますが、70余年の経過と加齢に伴い、一部記憶の薄れたところもあります。 「1 冷たいミカン」 午後3時ごろ、兵隊さんが「ミカン」を1個ずつ被爆者に配っていました。受け取った被爆者は驚きと感謝の声が広がりました。 ミカンは冷たく表面には薄い氷が付いていました。皮は薄くて柔らかく、ひと口食べたら甘くて、冷たくて、新鮮な味でした。あの時の味は今も忘れることができません。このミカンは宇品陸軍糧秣支廠(兵隊の食料や軍馬の飼料を調達、補給する施設)から放出されたものでした。私が寝ている傍で4~5人のおじさんたちが、小声で話をしていました。 「今度は、長崎に広島と同じ新型爆弾を落とされて全滅じゃそうな」「ソ連が戦争を仕掛けてきて、満州に攻めてきたそうな」「日本はどうなるんかのう。やれんのう」「日本は負けるのう」 暁部隊の兵舎に収容されていて、どこから情報を得たのか、不思議でした。 こんな話を聞いて、大変不安な気持ちになりました。 美味しかったミカンの味が台無しになりました。戦局に不安を与える言動は厳しい処罰を受ける恐ろしい時代なので、おじさんたちは周りを気にしながら小さな声で話していました。 あとがき 暁部隊の救援活動をされた兵隊さん(陸軍船舶特攻兵)は、被爆者と同様の苦しみがあったことをテレビ放送で知りました。 ある兵士は「軍人は死ぬるのは当たり前だが、女子供の市民を殺すのはいけない」と言っていました。 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 |