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トップページ原爆の絵「生き残った人と死んだ人」

原爆の絵

識別コード SG-0561
絵の内容 「生き残った人と死んだ人」
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)AM9:15頃
情景場所 南大橋東詰から対岸の吉島羽衣町
情景場所旧町名 千田町三丁目
情景場所現町名 千田町三丁目
爆心地からの距離 1800
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 *別紙
「生き残った人と死んだ人」
私は、被爆して火傷と怪我をし、多くの人に助けられました。
火傷をした顔が熱くて堪らないので川の水で冷やしていたら、土手の上からおじさん(警防団員と思います)が大声で「火傷に水を付けたら死ぬるぞ」と言われ、仕方なく川土手に上がって座り、周囲を見ていました。その時の光景を思い出して描きました。
被爆後1時間ぐらいと思います。市内は火勢が広がりこれからどうすればよいかとても不安でした。
被爆した人は、大火傷をして、両手を前に上げて無言で歩いていました。
南大橋の東詰めに来ると、避難者の群れは南大橋を渡って吉島方面に行く群れと、川土手を御幸橋方面に行く群れに分かれていました。指揮を執る人も案内する人もいません。
目の前の元安川は満潮から引き潮に変わった時で、川幅いっぱいに勢いよく流されていました。その川には力尽きた大勢の人が川幅いっぱいに、次から次へと流されていました。中には手足をゆっくり動かしている人もいました。
空は爆風による粉塵と火災の煙でどんより曇っていました。
西の己斐方面には不気味な黒い雲がありました。後に知った黒い雨でした。
対岸には木造貨物船が真っ赤な炎と黒煙を上げて激しく燃えていました。時々ドラム缶が爆発して大きな音を立てて、高く飛び上がり、恐怖を感じました。(対岸には塗料工場がありました)
2019年(令和元年)7月21日 西岡誠吾
サイズ(cm) 21×29.7
展示の説明文 作者 西岡誠吾さん(被爆当時13歳)
県立広島工業学校1年生だった西岡誠吾さんは、学校内で被爆しました。気がついた時には、校舎の下敷きになって身動きが出来ず、どうにか助け出されたものの、顔や手にはやけどを負い、足にも傷を負っていました。

生き残った人と死んだ人
午前9時頃
やけどをした顔が熱くてたまらないので川の水で冷やしていたら、「やけどに水をつけたら死ぬるぞ」と言われ、仕方なく川土手に座っていました。その時の光景です。
被爆した人は、大やけどをして両手を前に上げて無言で歩いていました。
目の前の川には力尽きた大勢の人が川幅いっぱいに、次から次へと流されていました。

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