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トップページ原爆の絵火傷の治療後、小型船に乗った

原爆の絵

識別コード SG-0559
絵の内容 火傷の治療後、小型船に乗った
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)15:00頃
情景場所 宇品港埠頭
情景場所旧町名 宇品町
情景場所現町名 宇品海岸三丁目
爆心地からの距離 4900
ブロック別 皆実・宇品地区
作者による説明 *絵中
宇品港より退避 S20.8.6 15:00頃
凱旋館で火傷の治療を終え、休んでいると兵隊さんが、埠頭に行き船に乗るよう命令、僕が乗ったのは、民間の小型木造船で砂運搬船だった。船内が狭く互に譲り合い乗船した。
船は温暖な海をポン”ポン”と云う音を立て東へ進んだ。
船の快適な走行は一抹の安心感さえ覚えさせた。
到着したのは安芸郡坂町鯛尾の船舶隊駐屯地だった。凱旋館
令和元年7月 尾崎稔 87才画
被爆当時 修道中学2年生13才
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 作者 尾崎稔さん(被爆当時13歳)
尾崎稔さんは、通学途中に被爆。左顔面や手を熱線で焼かれ、坂町の収容所に運ばれました。やけどで口半分が開かず、寝たきりの状態で、周りの人は次々と亡くなっていきました。8月20日に親族が迎えに来るまで、尾崎さんは、生死の境をさ迷いました。建物疎開作業に動員されていた母、自宅にいた妹と祖母は行方不明のままです。

1945年8月6日午後3時頃
宇品港より退避
民間の小型木造船で坂町へ運ばれた。

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