識別コード | SG-0558 |
---|---|
絵の内容 | 水を求めて群がる人々 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 県立広島工業専門学校西門入口付近 |
情景場所旧町名 | 千田町三丁目 |
情景場所現町名 | 千田町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2000 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | *絵中 被災後、初めての水 S20.8.6 9:00頃 「火傷(ヤケド)をして、水を飲むと死ぬるぞ!!」 死んでもエ、エ、飲む!! 広島工専(現 広大工学部)西門、入口附近 水道管が破裂し水が吹き出ていた。多くの人が水を求めムラがっていた。 令和元年7月 尾崎稔 87才画(被爆当時 修道中学2年生 13才) |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 作者 尾崎稔さん(被爆当時13歳) 尾崎稔さんは、通学途中に被爆。左顔面や手を熱線で焼かれ、坂町の収容所に運ばれました。やけどで口半分が開かず、寝たきりの状態で、周りの人は次々と亡くなっていきました。8月20日に親族が迎えに来るまで、尾崎さんは、生死の境をさ迷いました。建物疎開作業に動員されていた母、自宅にいた妹と祖母は行方不明のままです。 1945年8月6日午前9時頃 被災後、初めての水。 「火傷をして、水を飲むと死ぬるぞ!」 「死んでもエエ、飲む!!」 破裂した水道管に多くの人が群がっていた。 |