トップページ原爆の絵建物疎開のために転宅した。妹と一緒にした最後の作業だった
識別コード | SG-0554 |
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絵の内容 | 建物疎開のために転宅した。妹と一緒にした最後の作業だった |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/7下旬 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵中 オザキ幸子 8才 中島国民学校2年生 昭和20年8月6日 原爆被爆死(行方不明) 7月下旬、建物疎開のため、2度転宅、婦女子家庭では過酷なものだった。妹とは、7月末に2度目の転宅作業を一緒にやったのが最後になった。 自分13才 妹 幸子 専用1輪台車 母 37才 姉 15才 平成30年7月29日 尾崎稔 86才画 |
サイズ(cm) | 54×38 |
展示の説明文 | 妹とした最後の作業 画/尾崎稔 当時13歳 妹・尾崎幸子8歳。原爆被爆死(行方不明)。 建物疎開のため転宅。婦女子家庭では過酷なものだった。妹とは、7月末に2度目の転宅作業を一緒にやったのが最後になった。 |