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トップページ原爆の絵広島県商工経済会の壁の陰で日差しを避ける負傷者たち。並んで死んでいた中学生。殺された米軍捕虜

原爆の絵

識別コード SG-0530
絵の内容 広島県商工経済会の壁の陰で日差しを避ける負傷者たち。並んで死んでいた中学生。殺された米軍捕虜
作者名(カナ) 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク)
作者名(英語) Koutoku Tokeshi
当時の年齢 29歳
寄贈者名 竹中 茂子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/8(時刻)午後
情景場所 相生橋、広島商工経済会
情景場所旧町名 基町
情景場所現町名 基町
爆心地からの距離 260
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵中
暁部隊救護班

**書籍
産業奨励館の屋根は吹き飛び、鉄骨がむきだしになり、壁の一部がかろうじて崩れ落ちずにあった。向かいの商工会議所の建物も壁だけが残っていた。その壁にもたれ掛かるようにして、二十人ほどの負傷者が立ったり座ったりしており、中には倒れている人もいた。大半が女性らしかった。路面電車の場合と同じように、壁側にできたわずかな日陰に身を隠しているのだった。昼近くの強烈な太陽は中天にあって、壁際の陰の幅はジリジリとやせ細り、いずれの人たちも壁に擦り寄るようにして体を縮めていた。
(中略)
紙屋町あたりでは建物疎開の作業途中だったのだろう、男子中学生たち数十人が、ゲートル姿のまま外傷もなく、きちんと並んで死んでいた。少年たちの近くで、一人のアメリカ兵捕虜が八番線の針金で手首を縛られ、路面電車の鉄柱にくくりつけられたまま殺されていた。広島の街が焼き尽くされたあと、生き残ったアメリカ兵の捕虜が、引っ張り出されて憎悪の的にされ、なぶり殺されたものだろう。まだ二十歳前の若い兵隊だった。死んで間もないのだろうか、恒徳が触ると、まだ温もりが残っていた。金の腕時計と指輪が、日差しを受けて輝いていた。
宇多滋樹『豚の神さまー渡慶次恒徳の半生』(宇多出版企画 1999年、pp.108-109)
サイズ(cm) 123×180.5
展示の説明文 日差しを避ける負傷者たち
作 渡慶次恒徳 当時29歳
寄贈 竹中茂子

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