識別コード | SG-0498 |
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絵の内容 | 逃げ惑う被爆者 |
作者名(カナ) | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) |
作者名(英語) | YOKOTA Hirosuke |
当時の年齢 | 4歳 |
寄贈者名 | 横田 礼右 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 南観音町 |
情景場所旧町名 | 南観音町 |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 3500 |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | *別紙 一夜明けて。暗くて長い夜が明け、明るい朝となりましたが、昨日避難時は外の様子を伺う暇なしに爆風で身近なものが飛びちり壊れたため、慌てて防空壕に避難した人々は皆、町の様子はどうなったのか知りません。防空壕から出て始めて想定外の街の変わりはてた景色を見て唖然として呆然と見据えるばかりで声も出ません。社宅の長屋も6棟の内爆風の為4棟は半壊、その後の飛び火等で全焼、辛うじて私の家族の住む1番南の2棟だけが窓や玄関戸は全て吹っ飛び全壊し、又室内の家具建具も壊れ使い物にならず粗大ゴミと化しましたが、屋根や柱はり、外壁は修理はいるものの、丁度夏場でもあり雨露を凌げるだけでもラッキーでした。市内から被災者が南へ南へと列をなして南観音まで逃れてこられた人々の異様さは、子供ながら鮮明に記憶に残っています。特に夜はいずれの人も焼けすすで全体が真っ黒しかも飛び出たギョロ目だけが異様に光ってお化けの如く両腕を前に垂らし『みずをくださいみずを』と開いたスペースからか細い声で催促してきます。水を欲しがる死に際の負傷者に水をせがまれてものませないで下さいの通達があったので、請求があっても相手にせず、行きすぎるのを息を殺して家族で固まっていました。水を求める被災者が室内に入り込めないように窓枠玄関戸、家具等の廃材ですべての開放部分を囲い、被災後電気は停電で当分の間、夜は真っ黒でトイレ等最低限必要な時にのみローソクをつける不自由な生活となりました。ロウソクは貴重な為近所の人々も大事に使用しておりました。水道も出ないので、当時、社宅に数個設置されていた防火用の手押しポンプが役立ちました。当然ポンプは使用しない時は鍵をかけて住民が交互に管理していました。 被爆後の数日間、南へと逃げてきた負傷者たちは、いれかわりたちかわり同様な幽霊スタイルの光景が昼夜にわたり続きました。被爆の直撃を受け、かろうじて死の淵から生還できたひとびとは、市の中心から南の吉島町の飛行場および南観音の総合グランド、江波町の射撃場や三菱広島造船所などへひとまず逃げ、そこから橋を渡ったり、緊急避難用に以前から備えられていた船や筏によって川を渡り、己斐方面あるいは高須、古江の方へ逃れたと聞いておりますが、その途中で生き倒れて亡くなった人々も沢山おられたそうです。 |
サイズ(cm) | 41×57 |
展示の説明文 | 作/横田礼右(ヨコタ ヒロスケ)氏 <作者のことば> 市内から逃れてこられた人々の異様さは、子どもながら鮮明に記憶に残っています。いずれの人も焼けすすで全体が真っ黒しかも飛び出たギョロ目だけが異様に光ってお化けのごとく両手を前に垂らし、「水を下さい。水を。」と開いたスペースからか細い声で催促してきます。 |