識別コード | SG-0497 |
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絵の内容 | ガラスでけがを負った満4歳の自分 |
作者名(カナ) | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) |
作者名(英語) | YOKOTA Hirosuke |
当時の年齢 | 4歳 |
寄贈者名 | 横田 礼右 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 南観音町・防空壕 |
情景場所旧町名 | 南観音町 |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 3500 |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | *別紙 防空壕にて。昼なお暗い防空壕内では、すでに近所の全員も避難しており、ケガをしている方も数人おられ、酷い攻撃を受けたようだと朧気ながらわかっていても全員なにが起こったのかわからず不安と怯えで声も出ずただうずくまるばかり、私の家族も、狭い防空壕に避難しましたが、母と姉は不思議と何一つ怪我もないようでしたが、私は避難したと同時に頭と両肘から熱いものが流れてきた事を感じて見ますと顔と両手両膝から血が流れ出て、みるみる真っ赤に染まりました。 自分でも直ぐガラスが数十個ささっているのがわかりましたので、自分の手で抜けるものは抜きましたが、抜いた跡からは又鮮血が吹き出しました。母はなお残っている数個のガラス片を抜取ると同時に手際良く自宅から持参した数枚の白いタオルで出血部分を強く押さえ圧迫、姉も同時に止血の手伝いをしてくれました。かなり酷いキズでしたが全く痛みの記憶はなく、ただ寒気がしてきましたので気遣う避難の近所の方々数人が服等を脱いで上から掛て下さってようやく落ち着きました。 体験した事のない出来事にでくわした避難の全員も不安と萎縮で一日防空壕の中で体を寄せ合いうずくまって過ごしました。 幸な事に私の怪我も夕方には出血もおさまり一安心しました。避難の全員は、夜を通して防空壕で寝苦しい一夜を明かすことになりました。私の頭と両肘のガラスによるきずは、きっぽとして残り、さらに被爆後60年たっても時々付近の皮膚が痒くなりかさぶたが取れて細かいガラスの小片や粉が出てきていた事をお伝えしたいと思います。 |
サイズ(cm) | 73.7×51.8 |
展示の説明文 | 作/横田礼右(ヨコタ ヒロスケ)氏 <作者のことば> 私は避難したと同時に頭と両肘から熱いものが流れてきた事を感じ、見ますと、顔と両手両膝から血が流れ出て、みるみる真っ赤に染まりました。自分でもすぐガラスが数十個刺さっているのが分かりましたので、自分の手で抜けるものは抜きましたが、抜いた後からは又鮮血が吹き出しました。私の頭と両肘のガラス片による傷からは、被爆後60年経っても細かいガラスの小片や粉が、出てきました。 |