トップページ原爆の絵松江病院 昭和20.9.6ー同12.13入院。A.M10時カルシウム、P.M3時ビタミン注射を毎日、そして栄養食。爆心より1.3㎞の被爆だが、かろうじて助かった。
識別コード | SG-0490 |
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絵の内容 | 松江病院 昭和20.9.6ー同12.13入院。A.M10時カルシウム、P.M3時ビタミン注射を毎日、そして栄養食。爆心より1.3㎞の被爆だが、かろうじて助かった。 |
作者名(カナ) | 杉山 秀夫(スギヤマ ヒデオ) |
作者名(英語) | SUGIYAMA Hideo |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 杉山 大 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/9/6-1945/12/13 |
情景場所 | 松江の陸軍病院 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *絵中 松江の陸軍病院(今の国立病院) 昭和20.9.6-20.12.13 朝10時カルシウム(20プロ)注射を続けた。午後3時ビタミン。当時の生活の中で三度三度栄養食と注射。これが1.3㎞被爆でも助かった原因であろう。 絶対安静の赤玉。 *別本 松江病院 昭和20.9.6-同12.13入院。A.M10時カルシウム P.M3時ビタミン注射を毎日、そして栄養食。爆心より1.3㎞の被爆だが、かろうじて助かった。 爆心地より1.3キロの広島城内で被爆。しかし屋内だったので火傷なし、天井板の下敷で脱出して助かった。しかし、友人たちは柱の下で8人も即死してしまった。生死の境は紙一重だった。松江の陸軍病院の生活もよかった。私はこれで助かった、何とかしなければ… 原水爆禁止運動と世話活動はこのときから始まった。 杉山 秀夫 |
サイズ(cm) | 44.5×55 |
展示の説明文 | 作/杉山秀夫(スギヤマ ヒデオ)氏 寄贈/杉山大(スギヤマ ダイ)氏 <作者のことば> 松江の陸軍病院。昭和20年9月6日~12月13日。朝10時カルシウム注射・午後3時ビタミン注射を続けた。当時の生活の中で三度三度栄養食と注射。これが1.3km被爆でも助かった原因であろう。 |